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2008.7.12開設。 ショートショートを中心として、たそがれイリーが創作した文芸作品をご覧いただけるサイトです。 できれば毎日作品を掲載したいと思ってます。これからも創作意欲を刺激しながら書き綴って参ります。今後ともぜひご愛顧ください。

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     感動の最終回を迎えたドラマ。
     病と闘い克服した人々の生き様を伝えるドキュメンタリー。
     何を見ても、泣けない。
     通院から1週間後に「泣けない症候群」と医師から診断を受けた。
    「感情表現が未成熟なまま、大人になったのです。やがて涙を流せるようになるでしょうけど、特効薬はありません」
     
     医師はそう言った。
     自分だって、最初は「なんでこの前のドラマじゃ涙ボロボロだったのに・・・」と思って、ドラマの脚本家のせいにしてみたりもしたけど、実際泣けない症候群になったからと言って、普段の生活に困ることはなかった。
     結婚式や葬式にも出たが、涙を流す人々に混じって淡々と頷いて見せたり、静かに目を閉じてさえいれば、場の雰囲気を乱すことはなかった。

     しかし、自身の親が亡くなったときに泣けなかったのは辛かった。
     さすがに親族でも「あの息子はおかしい」とか「保険金が入るから嬉しいんじゃないか」とか、いわれのないことを言われたが、それに対する悔し涙すら出なかった。
     それでも医師は「時が薬です」とか言わず、次第に私は焦燥に駆られていったのだ。

     私は決心した。
     妻や幼子に遺書をしたため、自宅のマンションの屋上に上がった。
     丁寧に靴をそろえて、手すりに手をかける。
    「泣けない自分に、これ以上生きている意味はないので」
     そう書き残した遺書の一文が、頭の中をよぎった。

    「待って!」
     屋上のドアをバタンと開け、妻が駆け寄ってくる。
     その横を、幼子がつたない走り方で付いてくる。
    「泣けなくても、私が代わりに泣いてあげるから、死ななくたっていいじゃない!」
    「おとうちゃん・・・エーン、エーン」
     妻も泣き、子も泣いた。

     その時だ。
     私の頬に、流れる熱い液体を感じたのは。
     その液体を手に取り、舐めてみると、しょっぱい。
     すぐに液体の源流を探る。
     私の両目からだった。
    「泣けた・・・泣けたよ!」
    「あなた!」
    「おとうちゃん・・・おとうちゃん・・・」

     私は感じた。
     人を泣かせる人間にならないと、涙は出ない。
     私は、自分のことばかり考えて、みんなに違う涙ばかりを流させていたのかもしれない。
     自分のことを思って、流してくれる涙。
     そのありがたさに、私は今まで気づかなかったのだ。
     
     大都会の片隅の、古ぼけたマンション。
     そのはるか先には、煌々と明かりのついた、東京タワー。
     今日の東京タワーは、なんだか2つあるように見えるな・・・そんな独り言をつぶやきながら、私は下をなめずり、久々に感じる塩味を、大切にいとおしく味わった。

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    「おめでとう!通算10000ポイントだよ!」
     目の前に煙がたちこめ、それが消えると木の杖をついた老人。
     まるで神様みたいだな。そう思っていた男に、老人は言う。
    「わしはご覧のとおり神。さっき、君は車にはねられそうになった子どもを助けたね。それで10000ポイントなんだよ」
     神と名乗る老人の言葉を、男はさっぱり飲み込めない。
     神はまるで小説の種明かしをする筆者のごとく、説明じみた台詞をはく。
    「人間の振る舞いに、神はポイントを与えているのじゃよ。それが節目になった時、わしらの出番なのじゃ」
     よくわからないが、自分が何かの恩恵にあずかれるのだろうと言うことはわかった男。
    「さあ、10000ポイントだと、お前の望むことを1つだけかなえてやろう。多少制限はあるがな」
     多少? 男は鋭い目線を神に向ける。
    「ただし、何でもかなえてくれとか、何回でもかなえてくれとか、そういうのはだめだ」
     神は予防線を張りつつ、男に返答を催促した。

     男は少々考えると、神に願いを告げた。
     ポイント100倍でどうだ、と。
     そう、今日以降の善行に、ポイントを100倍でつけてくれ、と。
    「むむ、そんな抜け道があったとは・・・回数を増やすわけではないし・・・むむむ」
     やむを得まい。わしの説明が悪かったのだ。よかろう。
     神は脂汗を浮かべながら、男の願いをかなえることを約束した。

     神が姿を消してから、男はなんだかよくわからない気分であった。
     だが、目の前で神が神らしく一瞬で姿を消したことを見て、懐疑的な気分は薄れていた。
     そして、早く善行を積まねばと、都会の喧騒の中をきょろきょろ見回していた。

     すると、目の前で老婆が荷物を抱えて困っている。
     これはすごいポイントになるぞ。男は手前の横断歩道が赤信号なのもかまわず疾駆した。
    「おいおい、そこの旦那」
     老婆にたどり着く直前に、男はいきなり右肩を叩かれた。
     男は怒り心頭の面持ちでその方向に振り返ると、黒いコートを羽織った男が、八重歯を出して笑っている。
    「あんた、悪いことしたね。俺は死神さ。罰を与えに来たぜ」
     罰? 何を言うんだ? 男は死神に食って掛かる。
    「お前、さっき信号無視したろ。それでポイント達成だ。お前さんの悪行、死んで償ってもらえとの裁定だよ」
     死ぬ? 悪行? 信号無視で?
     男は死神の首をつかみ、渾身の力で締め付ける。
    「何をやっても無駄さ。お前さんのポイントは100倍だったからな」
     
     100倍?
     さっき神は約束したが、それは善行ポイントのはずだ!
     男は死神に食って掛かった。
    「ああ、100倍だろ。善悪ポイント。お前さんの悪行も100倍になるんだよ。神の野郎、ちゃんと説明しなかったのか?」

     里帰りはしたものの、もともと東京の大学に私が通うことを許さなかった親父とこたつで2人きりになるシチュエーションは、正直想定してはいなかった。もちろん、勘弁して欲しい。
    「みかん、取ってくれ」
    「あいよ」
     ちょうど私がミカン箱に近いこともあって、親父は小間使いのように21歳になったばかりの娘をこき使う。
     私も私で、手渡しするほどの気力もなく、ミカン箱に手を突っ込み、適当に甘そうな奴を手のひらに収まるほどつかみ、こたつの端からコロコロところがしてやると、父親に向かってそれは突進し、そしてポトリと落ちた。
     もちろん、父親が礼を言うことはない。
     大晦日の午後だというのに、こんな繰り返し。
     近所の美智子や里江に会いに行きたいと思っていた。特に里江は母親になったそうだ…一目母親になった友に会いに行きたいものだが、母親がそれを許さない。
    「今日は、今日だけは、そばにおったんさい。午後の2、3時間ほどのことじゃきに」
     あの母親が懇願する…私が東京に行くのを必死に説得してくれた母の願いだ。聞かぬ訳にはいかなかった。
     
    「ただいま」
     母親の声がする。私はこたつを飛び出し、ついでにコートを羽織った。
    「おかえり」
    「もう出かけるとね」
    「義務は果たしたと。里江と、美智子に会ってくる」
    「ちょっと、まちんさい」
    「なにが、もう義務は済んだとね」
    「あと1時間でええ、あと1時間…そばにおったんさい」
     母親のすがるような態度に、私も折れた。
     コートを脱ぎ捨て、マフラーだけを首に巻き、私は再び居間へ戻った。

     相変わらず、親父は何も言わなかった。
     テレビの中では、売れない芸人が出てきては、火の輪くぐりをするか、他人をこき下ろすか、そんな番組の繰り返しだった。
    「チャンネル、変えていいぞ」
     父親は私にリモコンを投げつける。
    「投げなくてもいいでしょ」
    「…」
     私はのどから出かかった言葉を言おうとしたが、それを止めた。
     ゴルフばっかり見て。どうせプロ選手のゴルフばかり見たって、あんたのスコアが良くなるわけじゃないでしょ。
     そう言えば、今日も昨日も、親父はゴルフ番組を見ていない。
     それどころか、こたつに入ってクラブを磨いているわけでもなく、それより…ゴルフクラブはどこへ行ったの?親父ぃ!
    「…」
     無言のままお笑い番組を見続ける親父。おまけにクスリと唇をふるわせて笑う時もある。
     やめてよ親父、そんなの、親父らしくないじゃない。
     私の心の叫びは、親父に届いてるんだろうか。
     
    「届いてたんじゃないの?」
     妹は火葬場の上に立ち上る煙を見つめながらつぶやいた。
    「そうかなぁ」
    「そうだよ」
     妹は数珠を握りしめ、そしてつぶやいた。
    「親父…最後まで、親父だったのかな」
    「そう思ったら、納得するの?」
     妹の言葉が、私の心を振るわせた。
     涙が知らぬ間に、頬を伝うのを感じた。
     でも、少しだけ後悔した。
     親父が元気なときに、こんな姿を見せても、よかったのかなって。
     ごめんよ、親父。

    「人生ゲームみたいな人生だったら、きっとバラ色の人生もあり得るよね」
    「いやいや、貧乏農場行きかもしれないぜ…」
    「でも、子どもが多かったら、みんなからご祝儀もらえるんだよな」
     そんな話をしていたら、いきなり地が割れて…気が付くと、そこはリアルタイムな『人生ゲーム』の世界。
    「おもしろいことを言っていたな、馬鹿な高校生諸君。神のいたずらだ、本当に人生を、人生ゲームで満喫するが良いわ」
     彼たちは喜んだ。
     おもしれえじゃん。俺たちみたいな馬鹿でも、ゲームで勝てば東大に入れるし、金持ちになれんじゃん。
     そんな彼らの姿を見て、神は半分呆れていたが、彼たちの中から順番を決めると、ルーレットを回したのだ。
    「お、10万円拾ったぜ」
    「俺なんか、車もらっちゃったよ」
    「じゃあ俺も…えいっ」
     ルーレットを回す。出た目は6。
     言われるがままに歩き、あるマス目に止まる。
    「できちゃった婚だって? マジかよ?」
     次の瞬間、背中に激痛が走る。
     ギャァー!男の悲鳴がフィールドに聞こえる。
    「人生ゲームじゃからの。子が生まれたら、ピンがたつじゃろ、ピンが」
     男は血まみれになり、今にも息絶え絶えそうな表情で言う。こんな人生だったら、ゲームなんかしねえよ…

     ガバッ。
     男は目を覚ました。悪い夢を見ていたようだ。
     それにしても、なんで高校時代の悪ガキと一緒につるんで…それも人生ゲームなんだ?
     悪い夢を見た後は、なんだか朝日も突き刺さるように感じる。男はカーテンを少々狭めて開くと、麻里を呼んだ。
    「麻里、麻里よぉ」
     トイレかな? それとも、出かけてるのかな?
     同棲中の身とはいえ、やはり彼女が気になる。玄関まで行くと、麻里の靴は丁寧に揃えてあった。
    「麻里ぃ…」
     もう一度呼びかけた瞬間、背後から気配を感じた。麻里だ。
    「なんだ、いたなら返事しろよ…」
    「ねえ、昔の話、覚えてる?」
    「…なんだよ、いきなり」
     振り向こうとする男を、麻里は拒んだ。
     次の瞬間、男の背中に激痛が走る。そして、じわりと温かい液体がほとばしり、足を伝うのを感じた。
    「な…なんの…真似だ…」
    「側にいてくれるよね…私もすぐ行くから…」
    「…ま、麻里ぃ…」
    「お願い…子どもができちゃったからって…別れるなんて言わないで…」

    「母さん、地震か」
    「そうですねぇ…はい、お茶」
    「私の手が震えているのかと思ったが、そうではないのだな」
    「それだけ思えるのなら、老衰じゃありませんよ」
    「…」
     
     それにしても、最近地震が多い。
     この1年ほど、朝昼晩、三食きっちり取るかのように地震は起こっていた。
     しかし、ここ1ヶ月ほど前から、地震の頻度は増し、今日は午後三時に至る今まで、既に私の記憶では数えられないほどの地震が起こっている。季節は秋を迎えようとしているのに、家の前の街路樹で色づくはずのイチョウの葉さえ、昨今の地震で落葉してしまっているぐらいだ。
    「母さん、区役所には連絡したのかね」
    「ええ、ちゃんと連絡しましたよ。そしたら、やっぱり会社へ申し出ていただく方が対策をしてくださるのではって」
    「何の話だね」
    「あら、目の前の会社にやってくる学生ですよ。会社説明会に詣でるのはいいけど、家の前でゴミを捨てたり違法駐車したりって、なんとかならんのかって、あなた言ってたじゃないですか」
    「そっちはいいから、地震の方だよ。ほら、地下に空洞があるとか、実は断層があるんですとか、区役所で調査してもらった方がいいんじゃないかって言ってるんだ」
    「わかりましたよ、早速明日にでも、来ていただきましょう」
     妻はそう言うと、ハンディ電話のダイヤルを押し始めた。
    「あ、区役所ですか…」
     グラグラグラ。
    「母さん、地震か」
     妻が答えるまでも無く、不気味な揺れは我が家を次第に包んでいくのだった。

     翌朝10時前。
     区役所の職員はそそくさとやってきて、そそくさと地震計を置き始めた。
    「1時間様子を見ます。では後ほど」
     他の業務があるので、と言い残し彼らは黄色の軽ライトバンに乗り、去って行った。
    「なんだ、1時間待ってるんじゃないのか」
    「あの人たちも、お忙しいんでしょうね」
    「なんだ、お役所のくせに」
     私は日ごろから思っているお役所への不平不満を、半ば独り言のように語っていた。
     
     1時間はあっという間だった。
    「体に感じる地震も、感じない地震も、まったく計測されていませんが」
    「…き、今日は、偶然無いんだ」
    「そうですか? それにですね、お宅だけじゃなくて、ご近所でも同様のお声があってもおかしくないと思うんですが、実はそんなお声が無いんですよね…どういうわけか」
    「だから、1時間そこらじゃ結果は出ないよ。1日ずっと調べてくれれば、わかるんだ」
    「うちも人がいませんからね、そんなにお宅の言い分だけをお聞きするわけにはいかないんですよ」
    「う、うむむ…」
     普段心の中で馬鹿にしている奴らにここまで言われるとは。私の胸の中ではマグマが噴出する寸前だった。
    「おまえ、今日の説明会どうだったよ」
    「ああ。いつもにも増して、格好付けといたよ」
    「リーマンになるより、俳優になる方がいいんじゃない?」
    「そうだな。この会社に入社できたら考えるわ、わはは」
     家の前の大企業からは、いつものように会社説明会を終えた学生共がだらだらとネクタイを解きながら私の家の前を通り過ぎていく。
     もちろん、この無作法で非社会的な振る舞いを見て、私の心中が穏やかになるわけが無い。
     もう限界だ。役所の奴らにも、無知な若者どもにも。
     
     その時だ。
     足元のアスファルトが、徐々に震えてくるの感じた。
     私より前に、妻は揺れに気づいていたらしい。どうやら、役所の連中に出すつもりのお茶、湯飲みの中でその水面が震えたらしい。
     役所の奴らも、顔色を変え始めた。明らかに、気づいている。
     路上で今から起こりうる事実に、私は胸を躍らせた。
     そして、役所の無能者どもに聞こえるよう、わざと妻に尋ねた。いつもより、怒鳴るような声で。

    「母さん、自信家!自信家!」

    「おめでとう!通算10000ポイントだよ!」
     目の前に煙がたちこめ、それが消えると木の杖をついた老人。
     まるで神様みたいだな。そう思っていた男に、老人は言う。
    「わしはご覧のとおり神。さっき、君は車にはねられそうになった子どもを助けたね。それで10000ポイントなんだよ」
     神と名乗る老人の言葉を、男はさっぱり飲み込めない。
     神はまるで小説の種明かしをする筆者のごとく、説明じみた台詞をはく。
    「人間の振る舞いに、神はポイントを与えているのじゃよ。それが節目になった時、わしらの出番なのじゃ」
     よくわからないが、自分が何かの恩恵にあずかれるのだろうと言うことはわかった男。
    「さあ、10000ポイントだと、お前の望むことを1つだけかなえてやろう。多少制限はあるがな」
     多少? 男は鋭い目線を神に向ける。
    「ただし、何でもかなえてくれとか、何回でもかなえてくれとか、そういうのはだめだ」
     神は予防線を張りつつ、男に返答を催促した。

     男は少々考えると、神に願いを告げた。
     ポイント100倍でどうだ、と。
     そう、今日以降の善行に、ポイントを100倍でつけてくれ、と。
    「むむ、そんな抜け道があったとは・・・回数を増やすわけではないし・・・むむむ」
     やむを得まい。わしの説明が悪かったのだ。よかろう。
     神は脂汗を浮かべながら、男の願いをかなえることを約束した。

     神が姿を消してから、男はなんだかよくわからない気分であった。
     だが、目の前で神が神らしく一瞬で姿を消したことを見て、懐疑的な気分は薄れていた。
     そして、早く善行を積まねばと、都会の喧騒の中をきょろきょろ見回していた。

     すると、目の前で老婆が荷物を抱えて困っている。
     これはすごいポイントになるぞ。男は手前の横断歩道が赤信号なのもかまわず疾駆した。
    「おいおい、そこの旦那」
     老婆にたどり着く直前に、男はいきなり右肩を叩かれた。
     男は怒り心頭の面持ちでその方向に振り返ると、黒いコートを羽織った男が、八重歯を出して笑っている。
    「あんた、悪いことしたね。俺は死神さ。罰を与えに来たぜ」
     罰? 何を言うんだ? 男は死神に食って掛かる。
    「お前、さっき信号無視したろ。それでポイント達成だ。お前さんの悪行、死んで償ってもらえとの裁定だよ」
     死ぬ? 悪行? 信号無視で?
     男は死神の首をつかみ、渾身の力で締め付ける。
    「何をやっても無駄さ。お前さんのポイントは100倍だったからな」
     
     100倍?
     さっき神は約束したが、それは善行ポイントのはずだ!
     男は死神に食って掛かった。
    「ああ、100倍だろ。善悪ポイント。お前さんの悪行も100倍になるんだよ。神の野郎、ちゃんと説明しなかったのか?」

    「本当は、死にたくなかったんでやんしょ?」
     僕は声のする方向を振り向いた。
    「こっちこっち、旦那。私ですよ、私」
     声の先には、とっぷりと日の暮れた樹海の中で、ぼんやりと薄白く輝く影。
     これがいわゆる、幽霊という奴か。僕は妙に冷静になってしまった。
    「ほら図星だ、本当は死ぬ気なんかなくて、誰かに止めて欲しいなぁとか思いつつ、遺書とかメールとか書き残してきたけど、誰も相手にしてくれなくて、仕方なく樹海に来てみて、とりあえず死ぬために来ましたってふりをしてだねぇ・・・」

     お前の言うとおりだよ。
     迷ったんだよ。結果的にな。
     幽霊に向かって、そこらにあった木切れを投げつけながら、僕は叫んだ。
    「叫ぶ元気があるなら、大いに結構。でも旦那、さっきから旦那の動きを見せていただいてるとね、明らかに・・・」
     それもわかってるの。同じ所を堂々めぐりだって言いたいんでしょ?
     いいんだよ別に。僕の人生、そんなもんだし。
    「まあまあ、そんなに投げやりにならないで。旦那がこのまま死んじゃうって、100%決まった訳じゃないんだし」
     
     幽霊に同情されるほど、落ちぶれてないやい。
     そう吐き捨てると、僕は再び歩き始めた。
     タバコの空箱を取り出し、中からライターを取り出す。その明かりを頼りに歩き始める。
     死にたくない、死にたくない。そう思いながら。

     あれから3日・・・いや、それぐらい経ったのだろうかな、と思う。
     携帯電話の充電も切れて、日が昇って日が沈んで、その回数しかわからなくなった。だから3日ぐらいかなって思う。
     僕は樹海のこけの上に伏せ、動く気力を失っていた。
    「旦那、久しぶりで」
     あの時の幽霊だ。結局、3日かかってまた戻ってきてしまった。
    「今日はこの前のような話じゃござんせん。ほら、隣に死神さんが御用があるって・・・」
    「ども、死神です。そろそろ寿命がつきておられるようなので、お命をお預かりに来させていただきましたよ・・・」
     その言葉をはっきりと耳にした後、僕の意識は永遠にとぎれた。

    「本当は、死にたくなかったんでやんしょ?」
    「そうそう、本当は、死にたくなかったんでしょ、君」
    「なんですか、あなた達・・・ゆ、幽霊?」
    「ま、そんなところですけど・・・もしかして君、本当は死ぬ気なんかなくて、誰かに止めて欲しいなぁとか思いつつ、遺書とかメールとか書き残してきたけど、誰も相手にしてくれなくて、仕方なく樹海に来てみて、とりあえず死ぬために来ましたってふりをしてだねぇ・・・」
     こうして僕は、いつものように人間たちにお節介をはじめるのだ・・・

    『住居完備・食事無料サービス・インターネット使い放題・CS放送無料視聴』

     このご時世で珍しい、正社員の求人。
     勤務地が不特定・・・つまり、転勤があるのであろう。
     でも、こんなに特典ばかりを並び立てている求人は、果たして真実なんだろうか?
     ネットカフェ難民だった自分を変えたい一心だった僕は、早速無料求人誌を片手に、その会社を訪れた。

    「いやね、ほんまは、広告には書いてへん特典が、いっぱいあるんですわ」
     関西弁の訛が抜けきらない担当マンが、笑いながら言う。
     じゃあ、他に何があるんですか。と唐突に聞けば、担当マンの饒舌が始まる。
    「冷暖房完備・・・6LDK住居、それにサウナ完備。ダイエット用のマシーンもありますし、最新ゲーム機や大型液晶テレビとかの、いわゆるデジタル家電ですな、それもすべておますねん」
     ですから、即決でっせ。これだけついていて・・・実は、在宅勤務ですねん。
     よぉするに、これだけの環境がついていて、給料・・・と言うか、収入はがっぽりもらえます。どうでっしゃろ?

     ここまで言われたら、僕は迷うことがなかった。
     持参した三文判を机の上に取り出し、さっそく雇用契約書にサインし、押印する。
     前金として100万円を現金で受け取った僕は、ほくそえむ担当マンに尋ねる。
    「で、在宅勤務って、パソコンでなにをやるんです?」
    「それについては、実際に勤務地でお話しましょ。これ、勤務地までの地図です」

     翌日の朝。
     僕は指定された時間に、地図を片手に勤務地へ出向く。
     昨日の担当マンが、昨日より満面の笑みを浮かべて、僕に鍵を手渡す。
    「まあどうぞ、これが勤務地ですわ。近未来感覚の、ブロックライクな住居ですねん」
    「へぇ・・・なんだか、面白い形ですねぇ・・・」
    「中はもっとすごいんですわ。まあ、どうぞお入りになってください」
     
     ガチャリ。
     真新しい玄関の鍵を開け、僕は新築の香りがする家の中に入る。
     ガチャリ。
     背後で、玄関が再び閉まり、担当マンが『忘れ物しましたよって、すぐ戻ります』と聞こえる。
     まあいいや・・・これでネットカフェとも、おさらばだ・・・

    「そういうことだったんですか。私の時も、まったく同じです・・・」
     女はソファーに腰掛けながら、スカートの丈を気にしながら、腰掛ける。
    「おいおい君、そんな格好だと、見られてしまうよ」
    「あ・・・」
    「まあいいか。君と僕、つまり男と女を同居させると言うことは・・・生殖風景も貴重な鑑賞のネタになるんだろうね」
    「・・・」

     動物園の『ニンゲン』として鑑賞される生活を送り続けて、早4年。
     外界のニンゲンとやらは、だんだん刺激が足りなくなってきたようだ。
     そんなことを考えて途方にくれる僕と女を、小さな子連れの家族一行が、指差して叫んでいた。
    「ママ、パパ! ニンゲンって、ナマケモノよりも、怠けてるんだね!」

    「幽霊でも、出るんじゃないだろうね?」
    「ご心配はご無用ですよ。素人の私が言うのもおかしい話ですけど…今までの借り主さん方、腕前は一流でも、経営者としては…」
     三流だったんですよ。
     でも直江さん、あなたなら大丈夫ですよ。
     あなたには、美容師の腕前はもちろん、経営者としても、立派にやって、両立されますよ。
     だって、あの芸能人のセットもされたし、そう言うお店でお勤めされてたんですから…。
     セールスマンお得意の、お世辞を早口でまくし立てながら、男は先ほど私が印をついた契約書を、スーツケースに収める。
     
    「こちらの契約書、直江さんの控えになります…そうそう、早速ご準備されたいでしょうし…私から上には話しておきます。どうぞ、開店準備、なさってください」
     妻が入れた珈琲を一滴残らず飲み干し、男は席を立った。
     ガラスのドアを開け、こちらに会釈して、男は去っていった。
     前の持ち主がつけたものだろう、ドアについている、牛の首についているような鐘が、カランコロンと乾いた音を立てる。
    「褒めてるのか、厭味なのか、わかんない人ね、あの人」
     コーヒーカップを下げながら、鏡越しに妻が言う。
    「そんなこと、どうでもいいじゃないか…」
     散髪用のリグライニングチェアーを拭きながら、私はつぶやいた。

    「…山本さん、山本さん」
     男の声で、僕は我に返る。
     目の前にある、かつて話題だった、落ち目の俳優のポスターと、その横に書かれている「彼の理髪は私が手がけました」と言う、手書きの文字。
     その横には「リキュールさんへ」と書かれた俳優のサイン。それは、少々色あせて、その場に残されていた。
    「どうですか、この物件なら、山本さんにご満足いただけると思うんですが」
     前の経営者が…いなくなっちゃいましてね。まあ、平たく言えば…夜逃げってやつですけど。
     ですから、こんなに散らかっちゃってます。ええ、もちろん、リフォーム後に引き渡しって事で。
     今日決めていただけるなら、リフォーム急がせます。ええ、新春…成人式…その頃のお客さんを当て込める頃には、開店できるようにいたしますので。
     仮の契約書を僕に差し出しながら、男は口元に笑みを浮かべた。
    「さっきから、無口になられて…ご心配でも、おありですか」
    「いや、そうじゃないんだ…たいしたことじゃ、無いんだ…」

     前の経営者の残していった、商売道具たちを眺めながら、僕は男から目をそらした。
     ジッポを開く音がして、シュボっと音が続き、男は煙草に火をつけた。オイルライター独特の香りが僕に近づく。
     僕は、男の勧めるままに、自らも煙草を取り出し、男から火を貰う。

     近未来になり、愛着の生まれたペットをロボット化して、半永久的に飼う試みが行われたことは、誰もが知っている。
     その後、ロボット開発技術は発展し、既存の人物をロボット化したり、あるいはロボットを一から作り出すこともできるようになった。
     もちろん、その恩恵を受けているのは富裕層だけなのだが。
     そして、街中にはブランドショップのごとく「ロボットショップ」が見られるようになった。

     今日もロボットショップ「ルック・ライク」に客がやってきた。
     初老同士の夫婦が私の店に来たのは、夕立が止みかけた夕暮れ前の時だった。
    「息子を作ってください」
     写真を差し出す老紳士は、私が聞く前にぼそりぼそりと息子について語り始める。
    「20年前、この写真は成人式の時に撮った写真です。その後、息子はいなくなってしまいました」
    「私たちは確かに富に恵まれていました。しかし、心までは裕福ではなかったのですね」
    「そう、妻の言うとおりです。この歳になって、ようやく得がたい者の存在に気がついたのです」
    「夫の言うとおりです。ですから、今回息子を作っていただきたいのです」
     私は食傷気味に老夫婦の話を聞いていた。
     この手の客が圧倒的に多いため、もうなんだか歌舞伎の口上のように、同じことを客が繰り返し語るのに飽きていたのだ。
     そう、家を飛び出した息子や娘を作ってくれ、やっぱり金より心の豊かさだ、と。
     そういうくせに、息子や娘を金を積み上げて、できる限り再現してくれ、と懇願する。
    「性格まですべて、息子にしていただきたい」
     そう、今日の客も同じことを懇願した。
    「お客様、性格まで再現しろ、とおっしゃるのですね」
     老夫婦は私の問いかけに、瞳から涙を流しながら頷いた。
     私は、老夫婦から写真やら学校自体の通信簿やら、彼らの息子のありとあらゆる資料を受け取った。
     そして、念を押すように問いかけた。
    「いいですか、性格までも再現すれば、いいのですね」
     老夫婦は、私の問いかけに「くどい」と、目で訴えるのだった。
    「わかりました…でも、これだけはお話しておきます。…100%息子さんになることは無いですよ」
    「それは承知しています」
    「そうですね…あえて申し上げるなら、息子さん「風」のロボットが出来上がるのだ、と。そうお考えいただきたい」
    「わかりました」
     老夫婦は、革鞄に詰め込んだ札束をいくつも積み上げながら、くれぐれも息子に近づけて欲しい、と何度も訴えるのだった。

     あの老夫婦が来てから3ヵ月後。
     再び彼らがやってきた。
     もちろん、私には予想がついていたのだが。
     そして、彼らが怒りを隠そうとせずにこの店にやってくることも、私は知っていた。
    「息子、いやロボットはいなくなってしまいました」
    「どうしてこんなことになるのですか。大枚をはたいたと言うのに。責任を取っていただきますよ」
     私は毅然とした態度で言い放った。
    「いいですか。性格まで一緒にしてくれとおっしゃったのはあなた方ですよ。性格まで一緒にしたら、こうなるのはわかってるじゃないですか」
    「??」
    「実際の息子さんが、あなた方の有様に失望して出て行かれたのですから、性格も同じであるロボットがいなくなってしまうのは、当たり前でしょ」
    「ああ…」
    「おわかりですか。ゆえにお金では買えぬものがある、と言う世間の名文句もあるわけですよ」
    「…あなた」
    「ああ…」
     私の言葉に、老夫婦はうなだれ、そして妻は店の応接ソファーに深々と腰を掛け、放心した表情を浮かべた。

    「ちょっと、待ってくれ!」
     老紳士は私の顔を見つめ、叫ぶようにこう言った。
    「ロボット運用法で…法律で、製造主はロボットの所在を常に把握する義務があるはずだ!だから、君はロボットの居場所を知ってるはずだぞ」
    「…」
    「さあ、今すぐ、ロボットがどこにいるか、教えてくれたまえ」
     さすが、財をなす人間はこのようなことに気づくのも早いものだ。
     でも、私は安心していた。
     私の本当の商売は、ここからなのだから。
     なるべく平静を装い、少しでも悪人の表情にならぬよう、私は老紳士に語りかけた。
    「いいですか。ロボット運用法には、あなたがおっしゃるとおりの義務があります。ですが、こうとも書いてあります…ロボット運用法第34条の2…製造主は、製造したロボットの所在及びロボットが所有または獲得した金銭及び各種情報について、その秘匿について責務を負う…とね」
    「それは、わかっているとも」
    「秘匿ですよ、秘匿」
     老紳士は、ありがちな展開を私の目の前で見せてくれた。
     アタッシュケースに詰め込まれた札束。それを両手でつかめるだけつかみ、私の眼前に差し出す。
     そして、この老紳士に限らず、金持ちが吐く言葉のベスト3にも入る、あの台詞を吐くのだ。
    「金なら出す!だから、教えてくれたまえ!」

     1時間後、私は5千万円でロボットの情報を売り飛ばした。
     いや、正確に言うと、ロボットの正確な位置がわかるGPS装置を、5千万円で販売したのだ。
     いやあ、これだから…ロボットショップはやめられないのだ。
     私は薄めのブラックコーヒーを入れ、カウンター越しに初冬の夕暮れを見つめながら、札束を片手にほくそ笑んだ…いつもの、癖なのだが。
    「いやだお父さん、また笑ってる」
    「なんだ久実、帰っていたのか」
    「いつものようにさ、年寄りが泣き叫んでいるから、またうまいことやったのかと思ってね」
    「ははは、そのとおりだ」
     娘は私の飲み干したコーヒーカップを下げながら、妻の口癖を真似する。
    「あなたはお金さえあれば、幸せなんですからね…まったく、これだから金の亡者はいやなの」
    「おいおい、しゃべり方まで、アイツに似てきやがって」
    「似てきやがってと言われても、私は幼心に覚えているだけなんですから」
    「ちぃ、そんなこと言うのまで、あいつに似てきやがって」
    「あなたはお金さえあれば、幸せなんですからね…まったく、これだから金の亡者はいやなの」
    「おいおい、また同じ台詞か。もうわかってるさ」
    「あなたはお金さえあれば、幸せなんですからね…まったく、これだから金の亡者はいやなの」
    「…」
    「アナタハオカネサエ…○×&’%#$”&”””&…」
     
     私は娘の前頭部を思いっきり叩いた。
     軽い金属音がして、その後脳部コンピュータの異常停止音がこだました。
     ピーピーピー、ピーピーピー。
    「最近、調子が悪いな…そろそろ、限界かな」
     娘「風」ロボットも、既に10年が経過して、至るところに故障が目立ってきた。
     そういう私も、最近では人間が話す言葉が聞き取りにくくなっている。
     最初は人間たちが悪いのだろうと思っていたのだが、どうも私の外部ソナーが老朽化してきたらしい。
     人間と言うやつももろい存在だと思っていたが、そんな奴らに作られた私まで、もろくなってしまうとはね。
     いやはや、本当に情けない話でもあるのだが。

     それはそうと、私「風」の人間は、つい10年ほど前から姿を消したのだが、いったいどこに行ってしまったのかねぇ。

    「本当は、死にたくなかったんでやんしょ?」
     僕は声のする方向を振り向いた。
    「こっちこっち、旦那。私ですよ、私」
     声の先には、とっぷりと日の暮れた樹海の中で、ぼんやりと薄白く輝く影。
     これがいわゆる、幽霊という奴か。僕は妙に冷静になってしまった。
    「ほら図星だ、本当は死ぬ気なんかなくて、誰かに止めて欲しいなぁとか思いつつ、遺書とかメールとか書き残してきたけど、誰も相手にしてくれなくて、仕方なく樹海に来てみて、とりあえず死ぬために来ましたってふりをしてだねぇ・・・」
     お前の言うとおりだよ。
     迷ったんだよ。結果的にな。
     幽霊に向かって、そこらにあった木切れを投げつけながら、僕は叫んだ。
    「叫ぶ元気があるなら、大いに結構。でも旦那、さっきから旦那の動きを見せていただいてるとね、明らかに・・・」
     それもわかってるの。同じ所を堂々めぐりだって言いたいんでしょ?
     いいんだよ別に。僕の人生、そんなもんだし。
    「まあまあ、そんなに投げやりにならないで。旦那がこのまま死んじゃうって、100%決まった訳じゃないんだし」
     
     幽霊に同情されるほど、落ちぶれてないやい。
     そう吐き捨てると、僕は再び歩き始めた。
     タバコの空箱を取り出し、中からライターを取り出す。その明かりを頼りに歩き始める。
     死にたくない、死にたくない。そう思いながら。

     あれから3日・・・いや、それぐらい経ったのだろうかな、と思う。
     携帯電話の充電も切れて、日が昇って日が沈んで、その回数しかわからなくなった。だから3日ぐらいかなって思う。
     僕は樹海のこけの上に伏せ、動く気力を失っていた。
    「旦那、久しぶりで」
     あの時の幽霊だ。結局、3日かかってまた戻ってきてしまった。
    「今日はこの前のような話じゃござんせん。ほら、隣に死神さんが御用があるって・・・」
    「ども、死神です。そろそろ寿命がつきておられるようなので、お命をお預かりに来させていただきましたよ・・・」
     その言葉をはっきりと耳にした後、僕の意識は永遠にとぎれた。

    「本当は、死にたくなかったんでやんしょ?」
    「そうそう、本当は、死にたくなかったんでしょ、君」
    「なんですか、あなた達・・・ゆ、幽霊?」
    「ま、そんなところですけど・・・もしかして君、本当は死ぬ気なんかなくて、誰かに止めて欲しいなぁとか思いつつ、遺書とかメールとか書き残してきたけど、誰も相手にしてくれなくて、仕方なく樹海に来てみて、とりあえず死ぬために来ましたってふりをしてだねぇ・・・」

     こうして僕は、いつものように人間たちにお節介をはじめるのだ・・・

    ”2005ネン、2ガツ14ニチ、ジカンハ、ゴゴ6ジ。コノセッテイデヨロシイデスカ?”

     流ちょうな女性のアナウンスが聞こえると、私は何も言わず、タッチパネルのOKを指で押した。
     ”タイムスリップチュウハ、ベルトヲオツケニナリ、ディスプレイオヨビアナウンスノシジニシタガッテ、ソウサシテクダサイ…”
     友人から借りた、旧型モデルのタイムマシンだ。私のような貧乏人には、操作の仕方など知る由はない。充血した目をこすり、私はディスプレイに表示されるがまま、出発の設定をたどたどしく行う。
     設定が無事に終わると、球状のタイムマシンは、10秒ほど振動した後、静かに上空高く浮かび上がっていく。
     次第に見え始める、リニアモーターカーの都市環状線と、新東京タワーの明かりが、いつになくまぶしい。
     その景色も、”シャッター閉鎖”とアナウンスが聞こえた後、静かに閉められていくシャッターで見えなくなっていった。
     いざゆかん、40年前の東京へ。心は躍った。

     『人生快適化のために必要な過去および未来の事実を改変するための法律』が施行されて、はや2年。
     私は家庭内不和に苦しんでいた。妻と呼んでいた女…30年前に離婚はしたが、離婚してもぬぐえないものが、現実で…そして心中にもあった。
     そして、2043年…私が63歳の誕生日を迎えたその日、この法律は施行された。
     私は、躊躇することなく、過去の改変を申請した。そう、離婚しても、過去に私が犯した過ち…あの女を伴侶に選んだこと、そのために私自身、子どもたち、親族郎党、みなが金に困り、人生設計を破壊され、結果として周りの第三者まで不幸にしてしまった…その過去を、人生快適化のために変えたい。私自身のため、みんなのために。
     過去を変えると言うことは、2045年に生きる者にとって、その存在すら改変せざるを得ない。当然審査には時間がかかった。初老となった元妻の言い分も聞かねばならぬ。そして苦労して大きくなり、成人となった子どもたち、さらに様々な迷惑を掛けた親族郎党にも。裁判所は2年かけて、ようやく私の望んでいた結論を導き出してくれた。
     私の手には、今朝裁判所から発行された『改変許可書』が握られている。
     私は、この許可書に記載された範囲で、過去の事実の改変を行うことができる。時間警察隊が来たら、この許可書を見せてやれば、彼らは何も言わないだろう…この書類は、私にとって、人生の中で初めて手に入れた、水戸黄門の印籠みたいなものだ。。
     ”相部佐緒里との初めてのデートを改変し、無きこととすること”
     許可書の文言を幾度と無く読み返し、私はそのたびに頷いた。

     ”ジョウクウニトウチャクシマシタ。マニュアルソウサニヨリ、チャクリクサセテクダサイ。チャクリクゴ、ガイブヨリドアヲシメ、カモフラージュソウチヲカナラズONニシテクダサイ”
     私は近所に公園を見つける。ああ、40年前も今も、上野公園は変わらぬのだなぁ。寒空の中でも、薄着で犬の散歩をしている西郷さんを横目にみながら、ゆっくりとタイムマシンは降下する。
     その西郷さんの横には、佐緒里がいる。今か今かと、その瞬間を待っている。
     そうだ、私が待ち合わせ場所に、西郷さんの前を選んだんだ。佐緖里は上京してきたばかりで…最初に覚えたのが、上野駅。それと西鄕隆盛の銅像だったんだ…あの頃、私は、神田の出版社に勤務してたから…南からやって来たはずだ…とにかく、私自身で私を捕まえないと。
     着陸したタイムマシンは、カモフラージュボタンを押すと、透明になる。上野公園のはずれ、木々の合間でタイムマシンは透明になり、見えなくなった。
     私はワイヤレスキーを胸のポケットに入れると、久々に走り出した。南へ、南へ、ただひたすら、南へ。
     
     西郷さんの前を通り過ぎるとき、40年前の佐緒里を認めた。
     ちょっと肩に掛かるくらいの、自然な茶色の髪をしている。すれ違うとき、ほんのりとシャンプーの香りがした。
     …この女が、守銭奴になって、借金まみれになり、挙げ句の果てには、そのお金を他の男に貢いでしまうなんて。
     高知育ちの、少々田舎臭さが消えぬ佐緒里。それでも、いい女だ。ただし、風貌は。
     そんなことを考えながら、私は佐緒里の前をよたよたと走っていく一人の老人になっている。
     …いた。私だ。
     昔の私は、明日朝一で印刷所に入稿する原稿を茶封筒に持ち、佐緒里との待ち時間に遅れまいと、私の目の前を、山手線の電車のごとく、互いにすれ違おうとしている。
     今だ。私は私の目の前に立ちはだかるようにわざとよろめき、そして私の前で倒れ込む。
     昔の私は、今の私を避けきれず、私を蹴飛ばすかと言う勢いで接触する。そして今の私は、半ばオーバーに、その場でうずくまる。
    「すみません。い、急いでいたもので。大丈夫ですか?」
     昔の私は、今の私よりも謙虚な会釈をし、倒れ込んだままの私を見つめる。
     そうだ。もっと心配しろ。ここで私が「骨が折れた!救急車を呼べ!」とでも叫べば、私のことだ…周りの冷ややかな視線におどおどし、慌てて救急車を呼び、そして佐緒里を待たせたまま、待ち合わせに遅れて、嫌われて…一巻の終わり。私はとどめの言葉を吐く、そのタイミングを待った。

    「お急ぎでしょう。ここは私に任せて。どうぞ行ってください!」
     ??? 誰だ? 誰が、そんなことを言ってるんだ!
    「ま、待たんか! わ、私は…」
     昔の私は上半身を起こした私に、もう一度深々と会釈をすると、西郷さんの方へ一直線に走っていった。
     それを止めようと、届きもせぬ右手を伸ばす私。その手を別の手が掴んだ。
    「もういいよ、父さん」
     昔の私を視界から遮るように、若い男が私の目の前に、しゃがみ込んだ。
    「た、武史…」
    「姉貴から聞いたよ。どの時代に行くかわかんなかったからさ、一か八かでこの時代に来てみたら、ビンゴだ…いやあ、便利だよね。レンタルで最新鋭のタイムマシンが借りられるなんてさ」
     ちょっと高くついたけどね。右手の指と指で丸を作りながら、武史は犬歯を見せて笑った。
    「武史…父さんは…父さんはな…」
     武史は私の目を見つめ、幾度か首を横に振った。もういいんだ、いいんだよ。武史はつぶやいた。
    「だけど、父さんがあんな女と一緒にならなければ…おまえを立派な大学にも入れてやれたし、今のように、お前が夜間大学に通い、昼間に塗装工と建築現場のバイト三昧にさせたりはしなかった! おまえだけじゃない、姉さん、由希乃だって…今みたいなホステスなんかにさせることなく、なりたかった医者に、ならせてやることもできただろうに!」
     武史は私の目を見据えた。
    「確かに、一度は同意したよ。こんな改変をするってことは、今の自分が自分でなくなる可能性だって、あるわけだから。もちろん姉貴もね」
    「…武史」
    「だけどさ、やっぱり思ったんだよ…」
     今は今で、萩原昭輔の息子、萩原武史で生まれてきて、それでよかったんだってね。
     武史は私の手を取り、私をその場に立たせる。
    「タイムマシン、どこに置いたの? 帰ろうか、一緒に。俺のタイムマシン、なんだっけ、皇居だっけ、とにかく、遠いところにあるんだよ。途中まで、乗っけて行ってよ、いいだろ?」
    「武史…」
     
    「あの…」
     私を呼ぶ声が、背後から聞こえる。同時に、ハイヒールの足音が、私の背後で止まる。
    「先ほどは、連れの者がご迷惑をおかけしたそうで…申し訳ありません」
     振り向くと、そこには佐緒里がいた。傍らには、25歳の萩原昭輔が、さっきと同じように、会釈をした。
    「すみませんでした。この子を…待たせちゃってたもので。そうだ…お怪我とかされてたら、後でこちらに…」
     昔の私は、背広の内ポケットから名刺入れを取り出し、深々とお辞儀をして、私に差し出す。
    「凸凹出版の、萩原昭輔と申します。何かありましたら、こちらまで…」
    「昭輔くん、いや、彼もそう申しておりますので、今日の所はこれにてお許しいただけないでしょうか…」
     佐緒里が深々とお辞儀をした。昔の私に負けぬくらい、謙虚で深々としたお辞儀だった。

     私の背中を、武史が押す。
     許してやりなよ。いいね。そう言ってるようだった。
    「これはこれは…恐れ入ります…では…」
     昔の私から名刺を受け取る。
     その時だ、佐緒里から私に言葉が掛けられる。
    「あの、よろしければ、お名前と連絡先をいただければ…その方が、後でこちらもご挨拶に伺えますので…」
     私は武史を見つめる。武史は私と目線を合わせるのを嫌い、遠くに見える東京タワーを見つめた。
     私はポケットから許可書を取り出すと、それを両手の平でくしゃくしゃと丸めた。
    「名乗るほどのものじゃ、ありません。今日の今という時間、あなたにぶつかっただけの、それだけの老人ですよ」
     でも、お怪我などされていたのでは…本当に、大丈夫でらっしゃいますか? 佐緖里は汚れた私のスラックスを見つめながら困惑する。
    「またお会いしたとしたら、その時には、慰謝料でもいただきますよ…まあ…」
     二度とお会いすることはありませんけどね。私は乾いた喉を鳴らして、小刻みに笑った。
     25歳の萩原昭輔は、佐緖里の肩を数回叩くと、申し合わせたように、再び会釈をする。
     私と武史の返礼を見届けると、2人は背中を向け、アメ横の歓声が賑わう、厳冬の都会に消えていった。

    「さあ父さん、帰ろう。姉貴も心配してる」
     武史は私が右手の中に収めている許可書…今ではただの紙くずを、そっと奪い去り、そして”記念だから”と、丁寧に折りたたみ、自らのポケットに入れた。
    「…本当はさ、どうしても過去を変えたかったんじゃないの? でも、後悔しないよね」
     いつまでも都会の雑踏に立ちつくす私を、武史は案じた。

     いいさ。
     慰謝料は、10年後でいただくことになるんだから…
     そう言った瞬間、ビルのすきま風は、容赦なく私の背中を押し、寒々しさを余計に身に染みさせるのだった。
    「父さん…」
     さあ、帰ろう。未来へ…いや、私たちの現実へ、帰ろうじゃないか。
     私がそう言うと、武史は静かに頷いた。
     タイムマシンを置いてある、その方向へ私は歩き出す。武史も後をついてくる。
     人混みは、まるで誰かをエスコートするかのように、スペースを空け、私たちの歩む道を、そっと開いていた。

     2045年に帰った私。
     家に戻ってみると、そこには初老の佐緖里がお茶を入れて、静かに待っていた。
     由希乃が来てるわよ。今日は病院、非番だからって…おじいちゃんを待ってたのよ、煙草を買いに行くには、遅いわねって。
     なんだか訳のわからないまま、ソファーに腰掛ける私。
     その私の足下で、幼子の声がする。
    「おじいちゃんー、おかえりなさぁーい」

     さきほどから、僕と智子のイライラはピークに達していた。
     今日は、久々に大学時代の友人たちとの別荘貸切同窓会だと言うのに、肝心の別荘に着くどころか山間部の農村で道に迷い、時間には遅れる始末だ。
    「順平?携帯届く?」
    「…無理っぽいな」
    「もう、携帯電話も通じないような村に迷い込むなんて、順平のせいだからね」
    「ごめんごめん」

    二十分ほど舗装とも砂利ともいえぬ道を進んだころ、智子は前方を指差した。
    「ねえ、あれって、家の光?」
    「あれ…ほんとだ」
    「道、尋ねてみたら」
    「そうだな」
    自然とアクセルを踏む足が強くなる。
    そして、二百メートルほど先に見えるうすら明かりを目指して車を走らせた。
    「着いたけど…待っててくれる?」
    「わかったわ。…でも」
    「でも?」
    「恋人をあんまりほっとくと、お化けに連れ去られちゃうかもしれないから、なるべく早く帰ってきてよね」
     正直に怖いと言えよ。
     そう思いつつ、僕は順子を車内に置き去りにし、民家の玄関を捜し求める。
    その家は、いかにも田舎の家、と言った感じの家で、トタン屋根が何とも言えないノスタルジィを醸しだし、玄関の向こうに有るであろう土間の雰囲気がよりいっそうその思いを強くさせた。 
    「ごめんください」
     玄関で幾度か叫んだが、返事はない。ただ、明かりの見える部屋があって、奥からなにやらお経のような、歌のような言葉が聞こえてくる。
     僕はおもいきって玄関を開け、土間に入ると、先ほどよりもっと大きな声で叫んでみる。
    「すみません、電話をお借りしたいのですが」
     今度は、障子の向こうから、はっきりとした歌が聞こえてくる。いかにも、里に伝わる子守唄か蹴鞠歌と言った感じの歌だ。

    …会えぬ思いを胸に秘め
    …この盆にあなたを思わん
    …思う心はやがて伝わり
    …いつしかあなたは舞い戻らん
    …夏の盆恋歌と共に
    …いつしかあなたは舞い戻らん
    …私の思いが伝わると共に
    次の瞬間、僕は今まで見たこともないような光景に出くわすことになった。
     土間と部屋を仕切る障子が開くと、中学生ぐらいの女の子がちょこんと顔を出す。
     その女の子の奥…昔ながらの大きな作りのコタツの上で、小さいけれど何とも言えない光を発する石があり、その石が僕の目の前で一人の男に変化した。
    「あ…お取り込み中…でしたか」
     僕が唖然としているのを見て、女の子はつぶやいた。
    「お兄さん、見ちゃったのね」
    「…」
     僕の姿に気がついたのか、奥から女の子の母親と祖母と思われる人間が現れる。
     祖母は、僕に向かって険しい表情でぼそぼそとつぶやく。
    「あんた、さっきのことをみんさったね」
    「い、いや…不可抗力なんですけど」
    「これを見たからには、生かしちゃおけんのだ。村の掟だべ」
     そんな光景に、母親が助け船を出す。
    「おばあちゃん、この人だって見たくて見たんじゃないんだし…」
    「それはそうだが…」
    「あなた、黙っていられるわよね」
     この状況では、僕はただ無言でうなずく以外に選択肢はなかった。

     なんとか別荘への道順を聞きだすと、中学生の女の子が僕を玄関まで送ってくれると言う。断りにくい雰囲気だったので、その行為を受けることにした。
     女の子は、玄関を出てから僕にこっそりと言う。
    「さっきのこと、絶対話しちゃだめだべ」
    「わかってますよ」
    「この里の掟は厳しいだ。追っ手があんたを殺しにいくべ」
    「お、追っ手?」
    「この村を出た者は数知れずいるべ。そいつらはこの村の秘密を守るため、あえて都会に住み、事あらば追っ手として暗躍するべ」
    「な、なんだか、スパイドラマみたいな話だね」
    「そんな笑い話じゃなか。実際に、今年だって…」
    「わかった、わかった。要するに、僕が今見たことを秘密にしていればいいんだろ、ね」
    「わかってれば、いいべ」
     女の子は僕が車に乗り込むのを確認すると、再び家の中に姿を消した。
    「ねえ、何があったの?遅かったじゃない」
     車中では、半分眠りこけていた智子が目を覚ます。
    「三十分以上経ってたわよ。何やってたのよ」
     人間が蘇るのを見たんだ。そんな馬鹿なことはいえなかった。
     僕はなんでもないさと言い、再びアクセルに力を込めた。先ほどより、さらに強く。


    あれから一週間後、僕は一人であの村を訪れた。智子には話していない。
     他の村人に、村の中学校の場所を聞き、あの子が下校するのを待った。
    彼女と再会するにはそんなに時間はかからなかった。
    「あれ、あんときのお兄さん」
    「君を待っていたんだ」
    「なんで?」
    「とにかく、乗らないか…聞きたいことが、いっぱいあるんだ」
    「いいけど…時間、取るべか?」
    「そんなに取らないよ…そうそう、僕は順平。君は?」
    「明日香。真田明日香」
    「じゃあ、明日香ちゃん、ちょっと行こうよ…聞きたいことと、1つだけお願いがあるんだよ…」
    「お願いはともかく、嫁入り前の娘を襲うのだけはやめてな」
    「襲わないよ!」

     車の中、僕はあの日見た光景について単刀直入に明日香に聞いた。
    「あれは、このあたりでは”夏の盆恋歌”って言う、お盆に行うならわしだべ」
    「夏の…盆恋歌」
    「小さな石に思いを込めて、伝わる呪文を唱えるとその石が亡くなった人になって帰って来るんだべ。お盆の間だけだけどな」
    「ちなみに、あの人は」
    「私のお父さん。私が小さいとき、ダンプカー運転してて事故で亡くなっただ」
    「悪いこと、聞いちゃったね。ごめんよ」
    「だけど…順平さんは、こんなことを聞いて、いったい何を考えてるだ?私、よくわかんねえけど」
    「頼みがあるんだ…一つだけ」
     そう言いながら、小さくとも、美しく光る石を僕は明日香に手渡すのだった。

     三十分ほど行ったところにある、ダムの横にある公園。そこで僕たちは車を降りた。
     明日香は、不安そうな表情で僕に問いかけてくる。
    「な、本当におっかあやおばばには内緒だべな」
    「約束するよ」
    「本当は、私みたいな半人前がやっちゃいけない呪文だべ。何がどうなるかもわかんねえよ」
    「つまり、成功する保障は無いってことだね」
    「そう…私だってこの呪文、去年にようやく覚えたばかりだし、それにもうお盆じゃないし…成功するかどうか、さっぱりわかんね」
    「いいんだ。さっき言ったとおり、昔の彼女に会いたいだけなんだ…一日でもいい、一時間でもいいからさ」
    「わかった、やってみる…」
     先ほど手渡した石をアスファルトの上に置く明日香。その石に両手をかざし、なにやら呪文を唱えはじめる。

    …会えぬ思いを胸に秘め
    …この盆にあなたを思わん
    …思う心はやがて伝わり
    …いつしかあなたは舞い戻らん
    …夏の盆恋歌と共に
    …いつしかあなたは舞い戻らん
    …私の思いが伝わると共に

     次の瞬間、まばゆい光が石を包む。
    「あ!」
     明日香の叫び声が聞こえる。僕は明日香の方に向かって駆け寄る。
    「どうした、明日香ちゃん?」
    「…失敗だべ…」
    「失敗?」
    「見てごらんよ…蘇らせるのはできたけど、歳が…」
    「歳?」
     明日香が指さす方向には、石に替わってよぼよぼの老婆が座り込んでいた。
    「ごめんよ、順平さん。やっぱり、私の霊力が少し足りなかったみたいだ…」
    「いいよ、いいんだけど…あの人、誰だろう」
    明日香はしばし黙り込むと、それ以上何も語ることなく、頭を抱えてしまった。

    「あの老婆は他人でなかよ。きっと、あなたの愛してた今日子さんだっけ、その今日子さんが生きてたら、あれくらいの年まで生きてたってことじゃないかと私は思うんだ。だから、いつまで術が持つかわかんねえけど、あのおばあちゃんを大事にしてあげなよ。それがいいと思うべ」
     助手席に老婆を乗せ、僕は先ほど明日香に言われた言葉を幾度と無く噛みしめていた。
     老婆は、しばらく何も語らなかったが、ある光景を目にして、こうつぶやいた。
    「ああ、私の生まれ育った町だ…あの橋も、あの山も、あの海も、何も変わらないねぇ」
    「そうですか」
    「それに、あなたは昔私が愛していた人にそっくりだね。順平さんって言うんだが、とても優しくていい人だった」
     その言葉を聞いて、僕は老婆に語りかけた。
    「おばあちゃん、その順平さん、今でも好きですか?」
     老婆はこくりと頷き、しわくちゃまみれの顔をさらにしわくちゃにした。

     車を走らせ、家に向かう最中、老婆はいきなり車を止めるようにせがんだ。
    「どうしたの、もうすぐ僕の家なのに」
    「いいんだ。ここで私は降りるよ」
    「なんで?どうして?」
    「それが…人生だ」
    「人生…」
    「お兄さん、本当にありがとう。本当に短い間だったけど、楽しい話や想い出をいただいたよ。ありがとう…」
    「ま、待ってくださいよ!引き返しましょう!…僕だって、まだまだ、もっともっとあなたの話を聞いていたいんです…それに…」
    「それに…どうした?」
    「あなたの名前を、まだ聞いていません」

    老婆はしばし黙り込んだ。
    そして、淡々としゃべり始めた。
    その声は、若々しい人間の声だった…そう、まさしく今日子の声だった。
    声と同時に、その姿も老婆の姿から若者の姿へと変化してゆく。
    「順平君…」
    「今日子…」
    「あの中学生の子、なんて言ったかしら」
    「ああ、明日香ちゃんのこと?」
    「あの子の読みは正解だったわね。確かに、私だっておばあちゃんになってたから、何もしゃべりようが無くて」
    「そりゃそうだ」
    「順平君だって、おばあちゃん姿の人間に今日子ですって言われても、きっと信じてはくれないと思ってたし…」
    「信じては…くれない?」
    「実際はどう?私を今日子だと思ってくれて、こうやって思い出の町並みや夜景を見せてくれることができたし、なによりも元気そうなあなたに出会うことができてよかった…それだけで、もう十分なの」
    「僕はもっと、もっと今日子と…」
    車をUターンさせようとさせる僕の手を、今日子の手が止めた。
    その手は、人間の物とは思えぬ、冷たくて凍りついたような手だった。
    僕はUターンさせようとしていたハンドルを元に戻した。
    「今日子…」
    「もうわかったでしょ。私はいくら願われても、あの世の人間よ…だから、こうやって少しでもあなたと長くいたかった…いや、いられただけでも…幸せ」
    「も、もうちょっとだけ、あと少しだけでいいから…」
     今日子は首を横に振った。
    「今日のところは、もうお別れみたい…どうしようもないわ」
    「そ、そんな…」
     今日子は、冷たい唇で僕の唇をそっと撫でた。
    「冷たかったかな?」
    「いいや、暖かかったよ」
    「…ありがとう」
    「また、来てくれるかな?」
    「あなたが望むなら…順平君が心の中で、私のことを読んで叫んで、泣いてくれるなら…いつだって、あなたの夢の中に出て行くわ」
    「今日子…」
    「いつだって会いたいのは、私だって同じだよ。だから、そうして欲しい」
    「わかった。わかったよ」
     会話をするたびに、今日子の体がだんだんと薄れていくのが見える。
     霊力が云々というやつだろうか。車窓に見えるガードレールが今日子の体を透けて見えるようになってゆく。
    「最後になっちゃいそうだから…順平」
    「さよならは言わないよ」
    「わたしだって、絶対に言わないから」
    「じゃあ、また…」
    「ちょっと待って!」
    「今日子、どうした?」
     今日子は少し黙り込んだ。車窓に見える小さなお地蔵さんに目配せしながら、悲しくつぶやいた。
    「あの事故のこと…それだけはもう忘れてもいいからね…」
    「今日子!」
    そう言うと、今日子は小さな石へと戻っていった。あっという間だった。
     今日子が居なくなった助手席から見える車窓には、小さなお地蔵様がたたずんでいた。僕ははっとした。
     ここは、四年前に今日子が事故死した、あの場所だったのだ。
     この道を通ったことを悔やんでも、悔やみきれなかった僕は、カーステレオの音量を最大にすると、涙を流しながら家路についた。
    「あの時はごめんよ、今日子!」
     今日子が消える直前に叫んだあの言葉。
     彼女に本当に届いているのだろうか。そればかりが心配だった。

     老婆、いや今日子と再会してから一週間後。僕は再び明日香ちゃんを訪ねてあの村にいた。
     中学校から下校する明日香ちゃんは、また僕を見つけると、車に駆け寄ってくる。
    「お兄ちゃん、どうだったね、あれから」
    「ああ、とてもいい思い出ができたよ。その報告に来たんだ…あと…」
    「何、まただれか蘇らせたい人でもいるのか?私だったら、また失敗するかもしれないべ」
     小さいけれど、石英の輝く石を明日香ちゃんに手渡しながら、僕はこう言った。

    「あのころの、純粋で今日子を愛していた自分に逢いたいんだ」
     目から再び涙が伝う。あの日の夜、老婆が消え去ったときと同じ涙の味がした。

     茶封筒の中にある診断書。
     妻や子どもたちには内緒で、私はその内容について説明を聞き、そして家路についている。
    「あなたはガンです。半年持てばよい方でしょう」
     実業家として好きなだけ仕事をし、社長という地位にもなり・・・自分の思うがままに人生を送らせてもらい・・・そのために妻や子どもたちをそっちのけにしてばかりだった・・・自分冥利には尽きるが、夫や父親としては最低だったな・・・そんなことを、大都会のスクランブル交差点に立ちつくしたまま、呆然と考えていた。
     私は思い立って携帯電話を取りだした。
     妻に、息子に、娘に、慣れない手つきでメールを送った。
    ”今晩食事に行こう。いつものフランス料理店に午後7時”と。

     午後7時。
     いつものように店内の一番奥のテーブルで、私は家族が来るのを待っていた。
     妻が5分前に来て、早速病院の結果を聞き始めたが、私はそれを軽くいなしておいた。
     時間ぎりぎりで娘が飛び込んできて・・・それから5分遅れて疲れ切っている息子がやってきて”何事だよ?忙しいのに”と言わんばかりの目線で私を睨んだ。
     私は前菜と食前酒を人数分頼むと、一瞬生まれた場の沈黙に乗じるように、今朝ほどもらってきた診断書をみんなに見えるようにテーブルの上に広げた。

    「余命・・・半年?」
    「パパ?」
    「親父が・・・死ぬ?」

     家族は凍り付いた。
     妻は食前酒をテーブルにこぼし。
     娘は涙を手のひらにこぼし。
     息子は”これからどうしよう”と愚痴をこぼした。

     私は叱られた子どものように、小さくつぶやいた。
    「私は好き勝手な人生を歩んでいた。お前たちにさんざん迷惑をかけてきた・・・会社が一度倒産したとき、私が浮気をして母さんと別れる寸前になったとき、取引先にだまされて一家心中しようとしたとき・・・どんな時も、お前たちは本当に私に尽くしてくれた。だから父さんは今日約束する。短い人生にはなったが、今まで夫として、父親としてできなかったことをしてから、あの世に逝こうと思うんだ」

     妻は先ほどの私と同じような声量でつぶやいた。
    「本当に・・・余命半年なんですの?」
     妻の問いかけに、私は小さく頷いた。

     妻はハンドバッグから、一枚の便箋を取り出した。
     娘は、携帯電話をいじって、”見て欲しいメールがある”と言った。
     息子は愛用の手帳を数枚ほどめくり、”あったあった”と笑みを浮かべた。
     
    「あなた、昔約束しましたわね。自分が死ぬときはほおっておいてくれって。ここの便箋に書いてくださいましたわよ」
    「パパ、もしパパが死ぬようなときは、お前の花嫁姿を見せてくれって、このメールに書いてあるよね。実はさ・・・来週の日曜日、いや、早速会って欲しい人がいるんだけど・・・パパが死ぬ前に」
    「親父昔言ってたよな、”どんな紙切れに書かれていても、それが本人の直筆であれば法的に有効だ”って。ここの手帳のこのページ見てくれよ、俺に万が一のことがあったら、会社はお前に任せるって書いてあるよな! やった・・・これでしがないサラリーマン人生ともおさらばして、青年実業家だぜ!」

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